生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

幸せになれないのはなぜ?

私たちが知っている、相対の幸福

仏教でいわれる、絶対の幸福は、

同じ幸せでも種類が違います。

 

「絶対の幸福」は、

仏教を聞いていけばどんな人でもなれる幸せですが、

なった人にしか分からない幸せです。

 

ただこれ、不可思議・不可称・不可説の信楽なり 

親鸞聖人著書『教行信証』信巻)

絶対の幸福に救われたことは、

言葉にもできない、人に伝えることもできない、

想像も出来ない世界である。

 

そんな世界が、確かにハッキリとあるのですが、

あると言われても信じられないのが私たち人間です。

 

そんな幸せにあなたもなれるのだよということを、

釈迦はなんとか知らせようと、仏教を説かれたのです。

 

まず、

私たちが分かる幸せ(相対の幸福)というのは一体どんなものでしょうか?

 

簡単に言うと、を満たす幸せです。

 

仏教では、人間が持つ沢山の欲を大きく5つに分けられています。

 

五欲

①食欲・・・食べたい、飲みたい心

②財欲・・・金が欲しい、物が欲しい心

③色欲・・・異性に好かれたい、性欲を満たしたい心

④名誉欲・・・人から認められたい、嫌われたくない心

⑤睡眠欲・・・寝たい、楽したい心

 

よくよく考えてみると、

私たちの日々の生活は、すべてこの五欲だけで成り立ってしまうのです。

 

朝起きて、まだ寝ていたいなぁ(睡眠欲)と思いながらも、

会社へ行かなければ上司に怒られるし(名誉欲)、

給料がもらえない(財欲)から頑張って起きる。

身だしなみを整え(色欲・名誉欲)、

仕事をし(財欲・名誉欲)、

お腹が空いたら食事(食欲)、

帰ってきて風呂に入ってまた寝る(睡眠欲)。

 

人は欲求が満たされると、

脳内からドーパミン・アドレナリンが分泌され、

幸福感とやる気が起こる仕組みになっているそうです。

 

だから、「欲」があることによって、

目的意識や生きる原動力になるので、

生きていくためには必要なものであることが分かります。

 

ただし、このドーパミン・アドレナリンのような幸福感というのは、

残念ながら、続かないのです。

 

無くなると、また欲しくなり、あればもっと欲しくなる。

 

まるで麻薬中毒のようなものだそうです。

 

もちろん、2600年前のインドに、

ドーパミンやアドレナリンといった脳内物質はまだ発見されていませんが、

そういった欲を満たす幸せでは、「本当の幸せ」にはなれない

ということを、

お釈迦様はすでに発見されていたのです。

 

そんな、

求めても求めても満足できない幸せを求めて生きている私たち人間の姿を、

仏教の言葉で、

 

流転輪廻

 

といわれます。

 

流転も輪廻も、同じ所を際限なく回ることをいいます。

 

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