世界を旅して分かった「本当の幸せ」

求めても求めても結局満足せず、幸せを求めてさまよい続ける私たちを、仏教流転輪廻と言われる。

 

私自身、何かを求めてさまよい続けていた。

 

「自分探し」のために海外へ旅に出る若者は多い。

 

私もその一人で、日本という小さな枠から飛び出してみたら、自分の求めている「何か」が見つかるのではないかと思って、アジアや南米、中東など、特に発展途上国と呼ばれる地域を旅した。

 

確かに、日本にいる時にはなかった「気づき」がたくさんあった。

 

日本がどれだけ安全で、清潔で、秩序が保たれた国か、こんなに平和な国に生まれたことが本当に有り難いことに気付かされた。

 

毎日食べるものがなく苦しんでいる人たち、紛争やテロと隣り合わせに生きている人たち、性差別・身分差別によって自由を奪われている人たち・・・

 

そんな人たちに比べたら、なんて私は幸せなんだろう。

 

があるだけで有り難いことではないかと思った。

 

ところが、「有り難い」と思えるのもしばらくの間だけで、結局また日々の生活が当たり前になってしまう。

 

裕福な生活を手に入れても、競争社会や家庭環境、病気などに苦しみ、自殺する日本人は幸せだと言えるのだろうか?

 

世界がうらやむ国、日本。

 

これだけ高度成長を遂げた日本がなぜ幸せになっていないのだろう?

年間自殺者3万人という死者数は、もはや戦争と同じである。

 

「本当の幸せ」ってなんだろう?

 

哲学や宗教に答えを求めてみたが、結局そこにあるのは「比べる幸せ」。

 

今自殺をしようとしている人に、命の尊さを説明できる大人がどれだけいるだろうか?

 

「生きていたらそのうちいい事があるから頑張ろう」

「世の中には満足に生きられない人もいるんだから命を大切に」

「まわりが悲しむから、おかしな選択はやめて」

 

そんなあいまいな答えで納得するほど、軽い気持ちで死を選ぶ人はいない。

 

しかし、仏教にはハッキリと自殺してはならない理由も、生きる意味も、「人間に生まれて良かった!」と喜びの身になれる方法もすべて説かれている。

 

「何のために生きているのか分からず、さまよい続ける苦しみから早くぬけだしなさいよ。」

「そのために、真剣に仏法聞きなさいよ。」

「生きても死んでも幸せの世界が、確かにあるのだから。」

 

とお釈迦様は言われている。

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