生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

善とは?悪とは?~①布施をする~

生老病死、その他もろもろの苦しみの多いこの世で

本当の幸せになるには、真剣に仏教を聞きなさいよ。

 

とお釈迦さまは言われています。

 

では、具体的にどのように聞けばよいのか?

 

まず、

仏教で勧められているのは廃悪修善です。

 

「悪をやめて、善をしなさい」

ということです。

 

悪いことをやめて、善いことをする。

当たり前のことのように思いますが、

これをつねに実行できている人が一体どれだけいるでしょうか。

 

昔の中国の僧、鳥巣は、言います。

 

「三才の童子もこれを知るが、八十の翁もこれを行なうは難し

(3歳の子供でも知っていることだが、

80歳のおじいさんでもこれを実行するのは難しい)」

 

言うは易し、行うは難しということです。

 

酒は身体に悪いと分かっていながら、

「少量なら身体によい」などと都合のよい言い訳をつけて

なかなかやめられないのが私たちです。

 

(ちなみに、仏教で酒を飲むことは、

正常な判断力を失うという意味で「悪」とされている。)

 

では、善をしよう!と思うのですが、

善悪の基準というのは人それぞれで、

善かれと思ってしたことが、相手にとってはありがた迷惑だった

なんてこともよくあります。

 

何をしたらよいか分からないという人のために、

お釈迦様はたくさんある善行を6つにまとめておられます。

 

六度万行(ろくどまんぎょう)※六波羅蜜ともいう

①布施(ふせ)・・・親切

持戒(じかい)・・・言行一致

③忍辱(にんにく)・・・忍耐

④精進(しょうじん)・・・努力

⑤禅定(ぜんじょう)・・・反省

⑥智恵(ちえ)・・・修養

 

まず、布施とは、人にお金や物・心を施すこと。

 

「お布施」ときくと、

今日ではお寺にお経をあげてもらったお礼と思われていますが、

もともとは、善行のひとつです。

 

困っている人がいたら、

お金やもので助けてあげるということです。

 

災害に遭い、援助を求めている人に

募金や寄付をするのも布施です。

 

では、

お金がない貧乏な人は布施できないのかというと、

もちろんそうではありません。

 

無財の七施」といわれ、

お金がなくても、施せるものはたくさんあると言われます。

仏教では、

金額は問題ではなく、親切をするその「心」にこそ大事な意味があると説かれます。

 

無財の七施

眼施・・・やさしいまなざしで、周囲の人々の心を和ませるように努めること。

②和顔悦色施・・・やさしい笑顔で人に接すること。

言辞施・・・やさしい言葉をかけるように努めること。

身施・・・自分の肉体を使って、他人のため社会のために奉仕すること

      (ボランティアなど)

心施・・・心から感謝の言葉を述べるようにすること

      (ありがとう、ごめんなさいなど)

床座施・・・場所や席を譲り合う心遣いをすること。

房舎施・・・訪ねてくる人があれば、寝る場所・食事を提供し、その苦労をねぎらう

       こと。

 

お金をもらうよりも、

自分が悩んでいるときに笑顔で声をかけてくれる人、

本当に困っているときに、一緒になって考えてくれる人、

実はそんな心のほうがずっと有り難く、感動するものです。

 

人に与えるだけではをする、

と思う人もいるかもしれませんが、

布施は必ず自分に返ってくるものですので、

「損得を考えずに、相手に与えることだけを考えてタネまきを続けなさい」

とお釈迦様は言われます。

 

善いことをすれば、善いことが返ってくる。

悪いことをすれば、悪いことが返ってくる。

自分が作った原因は、かならず自分に結果があらわれる。

 

それが、大宇宙すべてをつらぬく真理

「因果の道理」とよばれるものです。

 

f:id:ananchang:20170515153320j:plain