仏教を聞く=「法鏡」=ありのままの自分を知ること
私たちが、決して崩れることのない永遠の幸せ(絶対の幸福)になるためには、仏教をよくよく聞くことが大事であると言われる。
なぜなら、自分の本当の姿を正しく知ることが、幸せの第一歩だからである。
2600年前のインド。
お釈迦さまが、35才で仏のさとりを開かれてから80才でお亡くなりになるまでに説かれた教えを仏教という。
お釈迦様がお亡くなりになる時、お弟子が「お釈迦様の45年間の教えを一言で言うとどんな教えですか?」
と尋ねた。
7000冊以上のお経になる教えを、たった一言で答えるとは非常に大変なことである。
ところがお釈迦様は、「汝らに『法鏡』を授けるであろう」とズバリ一言で喝破なされている。
「法」とは中国の言葉であるが、インドのサンスクリット語で「ダルマ」、日本の言葉では「真実」である。
法鏡とは、ありのままの自己の姿を映す鏡ということ。
つまり、「仏教を聞く」とは「ありのままの自己を映す鏡を見る」ということになる。
私たちは、自分のことは自分が一番よく分かっていると思っているが、果たして本当にそうだろうか?
名前や肩書きや、地位や名声、そしてこの身体は、いつまでもあるものではない。
いつかは必ず無くなるもの。
死ねばすべて自分のものではなくなる。
私たちが「自分」だと思っているものは、今生きている間だけの借り物にすぎない。
仏教で、「真実の私」とはどのように説かれているのだろうか?