生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

墓参りの本当の意味とは?

8月15日は「お盆」と呼ばれ、

墓参りへ行かれる方も多いと思います。

 

私も小さい頃から、

「じいちゃんの墓行くよ~!」

と親に連れられて、

墓に向かって手を合わせたりしていました。

 

しかし、

内心ではずっと疑問に思っていました。

 

「なんでただの石に向かって、お酒やお花を供えるんだろう?」

「じいちゃんは、もうそこにはいないよね?」

「お坊さんが墓に向かって唱えるなぞのお経は一体何なの?」

「みんな目をつぶって、何を祈っているの?」

 

大人になっても、

本当の墓参りの意味を知らない人が多いのではないでしょうか?

 

もともと「お盆」という言葉は、

盂蘭盆(ウラボン)経」

というお釈迦さまの説かれたお経から来ています。

 

お釈迦さまの十大弟子の一人に目連(もくれん)という人があります。

目連は、神通力(じんつうりき)第一といわれ、

特に孝心の深い人でありました。


その目連が、神通力を得て三世(さんぜ)を観ました時に、

痛ましいことに亡き母が餓鬼道(がきどう)に堕ちて

苦しんでいることが分かったのです。


彼は深く悲しんで、

直ちに、鉢に飯を盛って母に捧げましたが、

喜んで母がそれを食べようとすると、

たちまち、その飯は火炎と燃え上がり、

どうしても食べることができません。


鉢を投げ捨てて泣きくずれる母を、

目連は悲しみ、

「どうしたら、母を救うことができましょうか」

と、お釈迦さまにお尋ねしました。


その時、お釈迦さまは、

「それは、そなた一人の力では、どうにもならぬ。

この7月15日に、飯、百味、五果などの珍味を、

十方の大徳、衆僧に布施しなさい。

布施の功徳は大きいから、

母は餓鬼道の苦難からまぬがれるであろう」

と教えられました。


目連が、お釈迦さまの仰せに従ったところ、

母は、たちどころに餓鬼道から天上界(てんじょうかい)に浮かぶことができ、

喜びの余り踊りました。
 
*神通力:人間の考えの及ばぬ、霊妙自在の力。
*三世:過去世、現在世、未来世のこと。
*餓鬼道:食べ物も飲み物も、炎となって食べられず飲まれもせず、飢えと渇きで苦しむ世界。
*天上界:迷いの世界の中では、楽しみの多い世界。

 

 

親孝行できた嬉しさのあまり、

目連が踊りあがって喜んだことが、

「盆踊り」のはじまりであるという説もあります。

 

しかし、本来の仏教では、

死んだ親や先祖のために食べ物を供えたり、

読経することが親孝行では決してないと言われます。

 

盂蘭盆経を見ても分かるとおり、

お供えをしなさいと言われているのは、

死んだ親や先祖のためではありません。

十方の大徳、衆僧に布施しなさい

と言われています。

 

つまり、説かれる教え(仏教)を大切にしなさいということです。

 

葬式をしたり、遺骨や墓を大事にしたら、

死んだ人間が救われるという迷信は、

仏教では否定されています。

 

また、

「お盆には先祖の霊が帰ってくる」

というのも、本来仏教とは全く関係のない信仰です。

 

お釈迦さまは、

「石は、石の重さで沈んでいったのだ。

どんなに浮かび上がれと言ったところで、浮かぶものではない。

人は、己の過去に造った悪業によって、

悪因悪果、次の世界に沈むのだ」


“読経や儀式で死人の果報が変わるはずがない”

 

と断言しておられます。

 

では、墓参りは全く意味のないことなのか?

 

というと、決してそうではありません。

 

まず、

自分の命の有り難さに感謝するご縁となります。

 

お父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん、

自分の先祖をさかのぼっていくと、

33代さかのぼったところで、現在の地球と同じ人口になります。

 

そのご先祖の中の誰ひとりが欠けても、

私は生まれてこられませんでした。

 

10代前の〇〇じいさんが、

若くして亡くなっていたとしたら、

もう私はここにはいません。

 

私が生まれたという結果は、

想像もつかないくらい有り難いことなのだと、

お釈迦さまは『盲亀浮木のたとえ』の中でおっしゃっています。

(有り難うの語源)

 

また、私たちは日々忙しさに追われて生活していますが、

せめて年に一度、

やがて自分にも必ず無常(死)がやってくる

という事実を心静かに見つめて、

 

「限りある命で本当になすべきことは何だろうか」

「どうすれば後悔のない人生を送れるのか」
 
と、自分を見つめ直す機会になれば、

墓参りは素晴らしい縁となります。

 

亡き父母や先祖が私たちに願うことは何でしょうか?

「正しく生き、幸せになってほしい」

親が子に願うことは、これしかありません。
 
お釈迦さまは、

私たちがどの方角に向かって生きていけば、

本当に悔いのない人生となるのか、

本当の幸せになれるのか、

お経の中に教えておられます。

 

その教えを聞かせていただき、

自分自身が「本当の幸せ」になることが、

真の供養であり、

真の親孝行となるのです。