生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

なぜ寺がつぶれるのか?

寺とコンビニの数、

どちらが多いと思いますか?

 

街中を歩いている感覚で言うと、

コンビニの方が多いような気がしますが、

コンビニは5万5000以上、寺は7万5000以上で、

圧倒的に寺のほうが多いのです。

 

ところが、

コンビニに毎日行くという人はいても、

寺に毎日行くという人はどれほどいるでしょうか?

 

寺の檀家が減り、生活が成り立たず、

後継者不足や住職のいない廃寺の処分など、

社会的に問題になってきています。

 

そもそも、寺の役割とはいったい何でしょうか?

 

現代のほとんどの人は、

寺の仕事といったら、

葬儀や法事でお経を読むこと

墓の番をすること

ぐらいにしか思っていません。

仏教系の幼稚園を経営している寺もあります。

 

ところが、仏教を説かれたお釈迦さまは、

葬儀や法事のためにお経を説かれたことは一度もありません。

 

仏教=葬儀・法事は、

大変な間違いであることがわかります。

 

寺の坊主が、葬式や墓にたずさわるようになったのは、

権力と結びついてきた歴史背景があるためであり、

(長くなるので、ここでは触れません)

実は、葬式法事と仏教は全く関係がありません。

 

私自身、葬儀屋で働いていたときに、

お寺の僧侶とご遺族の間に入って、打ち合わせをすることがありました。

 

葬儀や法事の際に、お寺に渡す「お布施」というのは、

基本的に額は決まっていません。

気持ちで出すものだからです。

 

ところが、あくどい寺になると、

葬儀・・・○○円

法事・・・○○円

ご本尊・・・○○円

など、高額なお布施を請求するなんていうこともありました。

 

当然、檀家は怒ります。

葬儀だけでなく、

「寺の修繕費用が必要だから、集めます。」

などと言われ、

「そんなもの払えるか!檀家やめる!」

などのトラブルも多いのが現状です。

 

ここで、問題にしなければならないのは、

お金のことではありません。

 

僧侶の本来の仕事は、

お釈迦さまの教えを、正確に多くの人にお伝えすること

ただこれだけです。

 

浄土真宗の寺ならば、

親鸞聖人の教えをそのままお伝えすること

ただそれだけです。

 

教えを伝えるということを怠って、

楽に儲けようと思っているから、

檀家がどんどん少なくなるのは当然です。

 

お釈迦さまの教えを正しく伝え、

多くの人を幸せに導いているならば、

人は喜んでその法に対してお布施をするでしょう。

 

お金が問題ではありません。

仏法が説かれていないことが問題なのです。

 

僧侶が門徒に仏法の話をする・・・これが「法施」です。

門徒は感謝し、仏法のためにと「財施」します。

 

本当の僧侶ならば、その財施を自分の欲のために使うのではなく、

また仏法をお伝えするために使います。

 

僧侶と門徒のあいだで金が回り、

回るたびに仏縁が深まります。

 

仏教が発展してきたのはこのためです。

僧侶と門徒は本来、このような素晴らしい関係で成り立ち、

お互いに幸せになれるのです。