生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

幸せってなんですか?

私はときどき、

 

幸せってなんだろう?

 

と考えるときがあります。

 

みんなが幸せについてどのように思っているのか、

聞いて回ったりしたこともありました。

 

大半の人が幸せを感じることはあっても、

幸せって何だろう

というところまでは考えない

ということが分かりました。

 

中には、

「また始まった!幸せとか、死とか、哲学はじまった!」

などと、周りからめんどくさがられることもありました。

 

日本全国の幸福度ランキング

というものがあり、

「仕事・教育・健康」などさまざまな指標から、

幸福度を割り出した総合ランキングです。

 

2018年度の順位は、

1位 福井県

2位 東京

3位 長野県

4位 石川県

5位 富山県

 

5位以内に北陸3県すべてが入っているのは興味深いです。

私が住む富山県も、「生活」分野では常に1位で、

たしかに持ち家率や車所有率も高く、生活水準は高いと思います。

 

しかし面白い研究があります。

幸福度は高いですか?

と聞かれると、「はい」と答える人が多いのに、

幸福感はありますか?

と聞かれると、みな首をかしげるという結果がでています。

 

幸福度と幸福感。

 

一文字違うだけなのに、私たちのとらえる感覚は変わるみたいです。

 

「もっと貧しい家もあるし、それに比べたらうちは幸せな方だ」

と思っている方は多いですが、

じゃあ、日々の生活に幸福感があるかというと・・・

毎日幸福感でいっぱいという人はなかなかおらず、

どちらかというと、大変なことのほうが多いでしょう。

 

「幸福」という字の語源を見てみましょう。

 

まず、「福」の字ですが、

「ネ」はころも編で、衣服のこと

「-」に「口」は、家のこと

「田」はお米、食べるもの

つまり、

福・・・衣食住がそろっていること

です。

衣食住が満足していることは、たしかに幸せです。

 

次に「幸」という字ですが、

幸・・・手かせ(手錠)の象形文字

だそうです。

 

手錠が幸せ?

むしろ逆に不幸じゃないかと思いますが、そうではありません。

 

昔の刑罰は今よりももっと厳しく、

重い刑罰を逃れて手かせですんだことは、非常に幸せなことでした。

手かせという刑罰だけを見ると不幸ですが、

もっと重い罰にくらべると、幸せ!

ということです。

 

このように、私たちが知っている幸せは、

なにかと比較したり、人と比べてはじめてわかる幸せです。

相対の幸福といいます。

 

一方、仏教に説かれる幸せは、

なにかと比較したり、人と比べる幸せではありません。

たった一人で喜べる幸せです。

煩悩即菩提といい、究極の幸せです。

絶対の幸福ともいえます。

 

苦しみばかりの人生で、どんなに悪いことをしてきた人でも、

煩悩あるままで、この究極の幸せになれます。

誰でもなれます。

 

ではどうすれば、この究極の幸せになれるかというと、

今ある幸せに気付く、とか

幸せだと思いこむ、とか

頭で気付くなどというものではありません。

 

仏教では、苦悩の根元は煩悩ではないと教えられています。

煩悩とは別に、苦しみの根っこがあります。

この苦悩の根元を断ち切れば、

煩悩即菩提の幸せの身に誰でもなれるのです。

 

煩悩があればあるほど幸せになれる

不思議な幸せです。