生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

孤独に押しつぶされそうな人へ、お釈迦さまからのメッセージ

人生は、苦しみ悩みの連続です。

 

友達を求めるのも

恋人を求めるのも

結婚するのも

自分を分かってほしいから。

認めてほしいから。

一人じゃ乗り越えられない苦しみがあるからです。

 

自分のすべてをさらけ出しても「好きだ」と

言ってくれる人がいたら、

それは本当に有り難いことです。

 

しかし、現実的にそういう人はいません。

分かりあえたように思えても、深い部分では決して交わることはないのです。

 

「あなたの気持ち、分かるよ」

と言葉で言ってくれる人はいますが、

本当の心を分かってくれる人はいません。

 

親であっても、子供の本当の気持ちは分かりません。

夫であっても、妻の悩みは分かってあげられません。

 

「あの人は、私の気持ち全然分かってない!」

と言う人は、

逆に相手の気持ちを分かってあげられているでしょうか。

 

明るくふるまっている人に限って、深く苦しんでいるものです。

そんな人を見て、

「悩みなんてなさそうで、うらやましい」

などど軽く理解してはいないでしょうか。

 

自分が人を理解できないのに、人に求めるのはおこがましいことです。

 

結婚も離婚も浮気も、

自分のことを理解してくれる人を求めてです。

そんな孤独な旅は一生終わることがありません。

たとえ長年連れ添った夫婦でさえ、完全に分かりあうことは不可能です。

 

好きになって裏切られるくらいなら、

いっそずっと一人でいよう。

孤独でいよう、と思います。

 

最近は、

「孤独のすすめ」

「孤独のチカラ」

「極上の孤独」

など、孤独について書かれた本も多く出版されています。

 

それだけ、孤独に苦しんでいる人が多いからです。

 

そんな本を読むと、しばらくは、

「孤独って楽しいじゃないか!」

「孤独ってマイナスなことばかりじゃない!」

と思えるのですが、

そう思えるのもしばらくだけです。

 

やっぱりさみしくて、誰かにすがりたくなるのです。

 

 

仏教では、

【底知れないほど、さびしいところが人生である】

と説きます。

 

独生独死 独去独来(どくしょうどくし どっこどくらい)

 

独り生まれてきて、独り死んでいく

独りどこかからやってきて、独りどこかへ去っていく

 

この底知れないさみしさは、

魂が孤独だからです。

 

あなただけが孤独なのではありません。

全人類が孤独なのです。

 

お釈迦さまは、

人と人は、分かろうと努めてもできないのだ

と説かれています。

人は同じ世界に住んでいるようで、見えている世界は全く違うものなのです。

違う世界にいる人を理解する力は、人にはありません。

人間には、その孤独を救う力はないのです。

では、その魂の孤独を解決するにはどうしたらよいのか?

その方法を説かれたのが仏教です。