生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

「生きる」とは「信じること」

 

神を信じる

仏を信じる

 

などと言われますが、

「信じる」というのは、特定の宗教に限ったことではありません。

 

・この人と結婚すればきっと幸せになれると「信じて」、

人生の伴侶を決める。

 

・仕事は辛いけど、頑張れば幸せになれると「信じて」、

毎日会社に通う。

 

 ・老後の蓄えや、資産があれば安心だと「信じて」、

貯金や保険、投資信託を選ぶ。

 

 ・明日も自分の命はあるものだと「信じて」、

手帳に1週間後のスケジュールを書き込む・・・

 

私たちは、神や仏に限らず、

何かを信じなければ、一日たりとも生きられないのです。

 

親や子供、夫や妻、金や仕事を頼りにし、

このためにがんばろう!

と信じるものがあるから、毎日生きていけるのです。

 

しかし、実際はどうでしょうか。

 

3組に1組が離婚するとも言われる世の中。

愛し合って結婚したはずの2人が

いつしか憎しみに変わることもあります。

 

へとへとになるまで働いて、

家族との時間は取れず、

結局何のために頑張っているんだろうという矛盾に気づきます。

 

必死で貯めたお金や財産も、

死んだら一円も持っていけません。

 

子供たちのために!

と思って残した財産が原因で、子供たちが争うこともあります。

 

3.11東日本大震災の日、

またいつもと同じように1日を過ごせると信じていた人たち。

まさか今日が自分の死ぬ日だと思って家を出た人がいたでしょうか?

 

まさか、

これが大切な人との最後になると知っていた人がいるでしょうか?

 

「人は必ず死ぬ」と頭では分かっていながらも、

自分はまだまだ生きていられると無意識に信じている。

そうしなければ私たちは生きていけないからです。

 

明日も命はあると信じていたがために、

それが裏切られた悲しみは、果てしがありません。

 

そんな裏切りが、世界中にあふれていることは、

ニュースや新聞を見てもわかります。

 

大切な人を亡くして、嘆き苦しんでいる人がたくさんいます。

 

そのやり場のない怒りや悲しみを、

政府や電力会社や地震津波などの自然に対して向けるしかないのです。

 

「信じる」=「生きる」

 

とも言えるでしょう。

 

では一体なにを信じればいいのでしょうか?

 

何かを信じても、いつかは裏切られる。

 しばらく幸せが続いても、

「死」が来たら何にも残らない。

 

果たしてこの世に必ず幸せになれるという

絶対的なものがあるのでしょうか?

 

「親も友達もなにも信じられない」

「そんな辛い人生なら死んだ方がましなのではないか」

 

「そもそも人生に意味などあるのだろうか」

 

「どうせいつか死ぬのに、

なぜ自殺してはいけないと大人は言うのか」

 

そんな答えの見つからない疑問に、

仏教ははっきりと答えてくれます。

 

その答えを知るためには、まず、

事実を事実として受け入れる心の器が必要です。

 

無常を観ずるは、菩提心の一なり

(むじょうをかんずるは、ぼだいしんのはじめなり)

 

自分の命の儚さを見つめ、

無常をよくよく理解することが、

本当の幸せへの第一歩であると言われます。

 

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