生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

死にたいと思っている人へ、お釈迦さまからのメッセージ

私たち人間が、

みな求めているのが「幸せ」です。

 

すべての人が、幸せになりたい、不幸になりたくない、

と思って一生懸命生きています。

 

しかし、生きていてもいいことがあるとは思えず、

こんな苦しい人生ならいっそ死んだほうがまし。

そう思って、自ら命をたつ人は絶えません。

 

自殺をする勇気はないけど、

ただなんとなく、死ぬのを待つ人生。

そんな人は少なくないでしょう。

 

実は「死にたい」と思う心の裏には

「生きたい」という本音が隠されているのです。

 

死にたいと思うのも、幸せを求めてのこと。

死んだほうが、生きている今の苦しみよりはマシだろう。

今よりは幸せになれるんじゃないかと思うからです。

 

それくらいに生きるというのは辛いことなのです。

 

「人生は苦なり」(釈迦)

 

いじめられて辛いから

仕事が辛いから

病気で苦しいから

人間関係に疲れたから

 

「死にたい」と思う理由はいろいろあるように思いますが、

つきつめると、

自ら死を選ぶ理由は全人類共通

と仏教では言われます。

 

「なんのために生きるのか」

「死んだらどうなるのか」 

分からない心

 

これが、自殺をする本当の理由であると答えられています。

 

仏教の言葉で『無明の闇(むみょうのやみ)』といいます。

 

もちろん私たちに、

そんな闇が自分の心にあるという意識はありませんが、

「なぜ生きる」のかが分からないから、

自殺もするし、誰も自殺を止めることができないのです。

自分の命の意味が分からなければ、

当然、他人の命の尊さもわかりません。

人を殺しても、なぜそれがダメなのか、実は誰も知りません。

 

逆にいえば、「なぜ生きる」の答えさえわかれば、

命の尊さがハッキリわかります。

『無明の闇』は晴らすことができるのです。

 

その答えひとつを説かれたのが仏教だからです。

 

2600年前のインド、お釈迦さまの時代にも、

生きるのが辛く、自殺をしようとする人はいました。

 

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釈尊(釈迦)が、托鉢の道中でのことである。

大きな橋の上で、

辺りをはばかりながら一人の娘が、たもとへ石を入れている。


 自殺の準備に違いない。


娘のそばまで行かれた釈尊は、優しくその訳を尋ねられた。

相手がお釈迦さまと分かった娘は、

心を開いて苦しみのすべてを打ち明けた。

 

「お恥ずかしいことですが、

私はある人を愛しましたが、捨てられてしまいました。

世間の目は冷たく、

やがて生まれてくるおなかの子供の将来などを考えますと、

いっそ死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。

こんな私を哀れに思われましたら、どうかこのまま死なせてくださいませ」

 

と、よよと泣き崩れた。

 

釈尊は哀れに思われ、こう諭された。

 

 不憫なそなたには、例えをもって話そう。


 「ある所に、毎日、荷物を満載した車を、

朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。

つくづくその牛は思ったのだ。


『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか。

一体自分を苦しめているものは何なのか』。


そして、


『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。

この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。

この車を壊そう』。


 牛はそう決意した。
 

ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、

木っ端微塵に壊してしまったのだ。

 

それを知った飼い主は驚いた。


こんな乱暴な牛には、余程頑丈な車でなければ、また壊される。


やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。

それは今までの車の何十倍の重さであった。

 

 

自殺を止められた釈尊の話

 

 

その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、

以前の何百倍も苦しむようになった牛は、

今更壊すこともできず、深く後悔したが、

後の祭りであった。

 

牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、

この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。

 

それと同じように、

そなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、

楽になれると思っているのだろう。


そなたには分からないだろうが、

死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。

 

その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、

大きくて深い苦しみである。

そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」

 

そして釈尊は、

すべての人に、後生の一大事のあることを、諄々と教えられた。

 

死んだらどうなるのか

 

娘は、自分の愚かな考えを深く後悔し、

釈尊の教えを真剣に聞くようになり、

幸せな生涯を生き抜いたという。

 

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お釈迦さまが、

「そなたには分からないだろうが」

と言われているとおり、

私たち人間に、死んだ後の苦しみは分かりません。

 

死んで帰ってきた人は誰もいないのですから、

わかりようもありません。

 

人間の智慧は浅いので、

今生きている目先のことしか分からないのが私たちです。

 

一方、お釈迦さまは、厳しい修行の末、

仏という「さとり」(大宇宙の真理)を得られて、

過去・現在・未来と永遠の生命が続いていくことを

発見されました。

 

そして、

私たちに『後生の一大事』のあることを教えてくださっているのです。

 

自殺をしても、

あの牛のように、今よりもっと辛い苦しみが待っているだけです。

 

苦しくても生きなければならないのは、

生きている間に、

「人間に生まれてきて良かった!!!」

と心から喜べる身になるためです。

 

仏教を聞けば、どんな人も必ずその身になることができます。

 

その生命の大歓喜が起こるまでは、

根気強く、仏教を聞いてください。

 

 

仏法を聞いて、聞いて、聞きぬいたときに、

はっきり救われます。

 

「生きていて良かった」

と心から思えるところまで、聴聞を続けて下さい。