大切な人を亡くした方へお釈迦さまからのメッセージ
子供や親、兄弟、夫や妻、恋人・・・
大切な人を亡くしたとき、私たちは深い深い悲しみに苦しみます。
その愛が深ければ深いほど、大好きであった人ほど、亡くした時の悲しみは大きく、
いっそ自分も一緒に死んでしまいたいとさえ思います。
その絶望感は、誰にもわかってもらえない、孤独の悲しみです。
いったいどうすれば、その悲しみを乗り越えて、強く生きていくことができるのでしょうか。
2600年前のインドで、実際にあったお話です。
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ある村に、キサーゴータミーという麗しい女性がいました。
彼女は結婚して可愛い男の子を産みましたが、命より大切に育てていたその子が、突然の病で急死したのです。
彼女は狂わんばかりに愛児の亡骸を抱きしめ、この子を生き返らせる人はないかと村じゅうを尋ね回りました。
会う人見る人、その哀れさに涙を流しましたが、死者を生き返らせる人などあろうはずがありません。
ですが、今の彼女に何を言っても無駄だと思った人が、
「舎衛城におられる釈尊(お釈迦さま)に聞かれるがよい」
と教えました。
早速、キサーゴータミーは釈尊を訪ね、泣く泣く事情を訴え、子供を生き返らせる法を求めました。
憐れむべきこの母親に、釈尊は優しく次のように仰いました。
「貴女の気持ちはよく分かる。
愛しい子を生き返らせたいのなら、私の言う通りにしなさい。
これから町へ行って、今まで死人の出た事のない家からケシの実を一掴み貰ってくるのだ。
そうすれば、すぐにも子供を生き返らせてあげよう」
それを聞くなり、キサーゴータミーは町に向かって一心に走りました。
しかし、どの家を訪ねても、
「昨年、父が死んだ」
「夫が今年、亡くなった」
「先日、子供と死別した」
などという家ばかりです。
ケシの実はどの家でも持ってはいましたが、死人を出していない家はどこにもありませんでした。
しかし彼女は、なおも死人の出ない家を求めて駆けずり回ります。
やがて日も暮れ夕闇が町を包む頃、もはや歩く力も尽き果てた彼女は、トボトボと釈尊の元へと戻りました。
「キサーゴータミーよ、ケシの実は得られたか」
「世尊、死人のない家は何処にもありませんでした。
私の子供も死んだ事がようやく知らされました」
「そうだよキサーゴータミー。
人は皆死ぬのだ。明らかな事だが、分からない愚か者なのだよ」
「本当に馬鹿でした。
こうまでして下さらないと分からない私でございました。
こんな愚かな私でも、救われる道を聞かせて下さい」
と彼女は深く懺悔し、仏法に帰依したとされます。
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仏教を説かれたお釈迦さまでさえも、死んだ人を生き返らせることはできませんでした。
お釈迦さまが、キサーゴータミーに伝えようとされたのは、自分で実行してみなければ分からない諸行無常という思い真実でした。
大切な人を亡くした悲しみは、なかなか受け入れられるものではありません。
時には、いきなり真実を話すよりも、何かを実行させる事によって、受け入れる事ができる、そういう事もあります。
そして、大切な人の死を決して無駄にしてはいけません。
残された者に大事なことを教えてくれているのです。
このキサーゴータミーのように、大切な人を亡くしたことを縁として、仏教を聞き、絶対に変わらない本当の幸せにならなければなりません。