生きる意味ってなんですか?

~その答えは仏教にありました~

私の人生このままでいいのだろうか

「私の人生このままでいいのだろうか」

 

そんな風に思う人は少なくありません。

 

私もときどき思いますし、友人の悩み相談などを聞いていても、

このワードにうなずく人は意外と多いです。

 

「毎日、家と仕事の往復で一日が終わっていく」

「かと言って、自分が何をしたいのか分からない」

「このまま同じことの繰り返しで人生が終わっていくのか」

 

自分がどんな時にこんなことを思うか、考えてみると、

人生それなりにうまくいっているとき

なのです。

それなりに、です。

 

毎日が最高に充実していて、悩みなんて一つもない

そんなときに、人は「このままでいいのだろうか」とは思いません。

悩みがないのですから当然です。

 

ところが逆に、人生のどん底にいる時も、

「このままでいいのだろうか」とは思いません。

 

なぜなら、辛くて苦しいときは、目の前の問題をどうにかすることに必死で、

先の人生のことを考える余裕などなくしているからです。

 

少なからず悩みはあるけれども、それなりに楽しいこともある。

自殺するほど辛い人にくらべたら自分は幸せなほうだが、

人生に満足しているかというとそうでもない。

 

そんな「楽」と「苦」のちょうど中間にいるときに、

人は「このままでいいのだろうか」と

考える傾向にあるのではないかと思います。

 

実は、この時が人生を変えるとんでもないチャンスなのです。

 

 

 

仏教に、流転輪廻(るてんりんねという言葉があります。

輪廻転生(りんねてんしょう)などとも言われます。

 

「流転」も「輪廻」も同じところを際限なく回ることを言います。

丸い輪っかの上を、ぐるぐる回り続けているのをイメージしてもらえばよいです。

 

これは、お釈迦様が、私たち人間の迷っている姿をいわれた言葉です。

 

私たちは、何か目標がなければ生きていけません。

 

いい大学へ入るために勉強し、いいところへ就職できるようにさらに勉強する。

仕事で成果をあげるために一生懸命働き、休みを楽しみにして頑張る。

妻子を養うために、家族のために働く。

自分の趣味を生きがいに仕事を頑張る。

病気になれば、克服するために治療をがんばる。

 

目の前にある目標という明かりに向かって私たちは生きているのですが、

そうやって結局はどこへ行くのでしょうか?

 

流転輪廻の輪っかを思い出してください。

 

輪っかの上をどれだけ進んでも、その先に終わりは見えません。

 

それと同じように、

私たちの目標は人生の通過点にすぎず、ゴールではありません。

 

戦後、日本は高度成長を遂げ、さまざまな課題や目標をクリアしてきましたが、

そこに生きている人間はその勢いと同じように幸せになれたでしょうか。

 

世の中は変わりましたが、人の心は今も昔も何千年前もちっとも変っていません。

 

ずっと不安でむなしいまま、全人類が昨日も今日も明日もあくせくして同じところをぐるぐる回っているだけなのです。

 

その姿を、流転輪廻といわれるのです。

 

ではいったい、どうしたらよいのでしょうか?

 

仏教には、その流転輪廻を断ち切り、人間に生まれてよかったという大きな喜びの世界に出る方法が説かれています。

 

とりあえずの目標ではない、人生の目的を教えられたのが仏教です。

 

生きる目的がはっきりすれば、人生のゴールが見えれば、

人はどんなつらいことも乗り越えられます。

 

あなたが今抱えている悩みや、過去に経験してきた辛いこと、

それらすべてが喜びに変わる、そんなすごい世界が仏教には説かれているのです。