親の大恩⑨ 子供が遠くへ行けば行くほど心配な親心
親の大恩十種の9つ目が、
⑨ 遠行憶念(おんぎょうおくねん)の恩
子供が遠くへ行けば行くほど、
親の心配は募ります。
衣・食・住のことから、
友だちの心配、学業のこと、
仕事のこと、健康のこと、そして経済状態。
とにかく子供の身の回りのことすべてが気になります。
子供の方はというと、
県外の大学に行けば遊びや勉強で忙しく、
就職すれば仕事で忙しい。
親のことを思い出す暇もないくらいです。
それでも親はいつも、
あの子元気にしているかな?
風邪ひいてないかな?
ちゃんとご飯食べているかな?
と、子供の心配ばかりしてくれているのです。
「若し子遠く行けば、帰りて其の面を見るまで、
出でても入りてもこれを憶い、
寝ても覚めても之れを憂う」
身にしみわたるお言葉です。
親という字は、
木 の上に 立 って 見 る
と書きます。
離れていくこともを、どこどこまでも見守る親心です。
さだまさしさんの案山子にも、
そういう親心が歌われています。
親の大恩⑧ 子供を守るためなら罪を犯すかもしれない
親の大恩十種の8つ目が、
⑧ 為造悪業(いぞうあくごう)の恩
子供の為なら、
悪い行いとわかっていてもやってしまう親心です。
子供を愛するあまり、
わが身を犠牲にしても、
いかなる強きものにも対抗して子供を守ろうとします。
ことに子供が餓死しようとする場合には、
前後を忘れて子供を助けようとして盗みをし、
刑務所に入ることもあります。
主人公ジャンバルジャンは貧しさのあまり子供を養うことができません。
お腹をすかした子供のために、
一切れのパンを盗んでしまいます。
それで捕まり、刑務所に入れられます。
ところが、
家に残した我が子が心配なあまり、
脱走を繰り返し、
最後は何十年という懲役刑となってしまいます。
「若しそれ子のために止むを得ざる事あらば、
自ら悪業を造りて悪趣に堕つることを甘んず」
とあります。
子供が欲しいといえば、
悪いこととは知りつつも、つい他人の花をも手折ってしまう
洋の東西、古今を問わず、
変わりなきは子を思う親心です。
親の大恩⑦ 子供には美味しいものをたべさせてやりたい
親の大恩十種の7つ目が、
⑦ 嚥苦吐甘の恩(えんくとかんのおん)
『父母恩重経』には、
「食味を口に含みて、
これを子に哺わしむるにあたりては、
苦き物は自ら嚥み、甘き物は吐きて与う」
と言われます。
自分は食べなくとも、子を飢えさせる親はない。
おいしいものはみな子供に与え、
自分はまずいもの、残り物を片付ける母の姿を思い出します。
子供の成長を願う母親が、
魚の身ばかりほぐし子供に与え、
自らは骨をしゃぶって食事するのを見て、
何も知らない子供は尋ねます。
「お母ちゃんはお魚の骨が好きなの?」
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「父母外に出でて他の座席に往き、
美味珍味を得ることあらば、
自らこれを食べるに忍びず、
懐に収めて持ち帰り、呼び来りて子に与う」
外出先でおいしそうな菓子や果物が出されると、
自らはそれを食べず、懐に収めて持ち帰り、
子供に分け与える。
子供が食べる姿を見て満足する。
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「己が好美の衣服は皆子に与えて着せしめ、
己はすなわち古き衣、破れたる服を繕う」
継ぎの当たった着物を子供に着せることはないのに、
洗濯物の中にやぶれた父のシャツや色あせたジャンパーやズボンがある。
古着を母が着ていることがある。
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子供が美味しいものを食べて喜んでくれるならばそれでいい。
子供の喜ぶ姿が自分の幸せなのです。
そんな風に親は思ってくれているのです。
親の大恩⑥ 子供のためなら汚いものも厭わない
親の大恩十種の6つ目が、
⑥ 洗潅不浄の恩(せんかんふじょうのおん)
親が子供を育てるために、
おむつや衣服、 子供の出した汚いものをも労苦いとわず洗濯して、
常に清潔なものを着せてくれる恩です。
お経には、
「子供は母親の愛情がなければ養育されることがない。
子供が乳母車を離れるほどに成長するころは、
おむつを洗濯する折に、両手の爪の間に子供の便を含み、
それを知らず知らずのうちに、
台所での調理の時などに口へ運んでしまうのである」
「子供が小便をして自分の着物がぬれても、
また子供の服が汚れても、決して臭いとか汚いと嫌うことなく、
自らの手で洗濯し、洗い清めてくれるのである」
といわれています。
子供のころは、
おねしょをしたり、
おもらしをしたり、
おう吐したり、
外で泥だらけになったり・・・
お母さんは、
毎日が子供が汚したものの洗濯で終わって行くようなものです。
それでも子供に嫌な思いをさせたくないと、
一生懸命きれいにしてくださったおかげで、
私たちは安心して毎日が過ごせたのです。
親の大恩⑤ 自分よりも子供を優先してくださる親の愛
親の大恩十種の5つ目が、
⑤ 廻乾就湿の恩(えかんしゅうしつのおん)
母親は子供を乾いたところに廻し、
自らは湿ったところに就いて寝る、
という意味ですが、
子供がおねしょをした時のことです。
寝小便をした子が、
隣に寝ている母親を起こせば、
親は子供の下着を替えさせ、
それまで自分の寝ていた乾いた場所へ子供を回し、
自分は、子供がおねしょしたばかりの湿ったところへ、
新聞紙をあてたり、他のものを重ねて、
その上に寝るのです。
母に着替えさせてもらい、きれいになると、
また安心して気持ちよく子供は寝ることができるのです。
これはどんな人でも経験があるのではないでしょうか。
子供のころ、
絶対におねしょしない!と、
トイレにも行って、水も夜のまず寝たはずなのに、
夢の中でトイレが出てくる。
確かめて夢でないと思ってだしたら、
生温かい感覚に眼がさめる・・・・
しまった・・・
と思ったらもう手遅れです。
ところが、
そんな私を仕方ないねと叱らず、
着替えさせてくれたことを思い出します。
お釈迦様はこれを、
『父母恩重経』にこうおっしゃいます。
「水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、
乾ける処に子を廻し、湿りし処に己臥す」
子供はきれいなところで寝かしてやり、
自分は汚く冷たいところで寝る。
私たちが、今こうして快適に過ごせるのは、
常に、子供を優先に育ててくださった
廻乾就湿の恩があればこそです。
親の大恩④ 寝る間も惜しんで育ててくれた母へ感謝
親の大恩十種の4つ目が、
④ 乳哺養育の恩(にゅうほよういくのおん)
これは赤ん坊にお乳を飲ませ、養うご恩です。
生まれたばかりの赤ちゃんは、
三時間ごとに母親のお乳をねだり、
泣き出します。
朝9時 12時 15時 18時 21時 24時 3時 6時・・・
お母さんは、まともに寝る時間がありません。
乳を飲ませ、
子供を育てることは、
何でもないようですが、並大抵のことではありません。
特に母乳が足りない時は大変です。
牛乳では、
生まれたばかりの子には強すぎてお腹をこわしてしまいます。
人工ミルクにしても、
成長するにつれて乳の濃度を調節するのは、
なかなか難しいものです。
ところが母乳は、
最初は薄く、子供の成長に適合して、
しだいに濃くなってゆくそうです。
自然の法則の妙でしょう。
温かい母の胸で、命の糧を頂いたことは、
大人になっても母への想いを熱く募らせるものです。
めんどくさいといってやめてしまったら、
赤ん坊は生き延びることはできないでしょう。
元気で大きくなれたという影には乳哺養育の恩があるのです。
親の大恩③ 苦しみを忘れて、わが子の誕生を喜んでくださる父と母
親の大恩十種の3つ目は、
③生子忘憂の恩(しょうじぼうゆうのおん)
これは、
元気に生まれた我が子の姿を見ると
これまでの悩み苦しみが一返に吹き飛んで
父母ともに喜んで下さるご恩です。
『父母恩重経』には、
「若しそれ平安になれば、猶蘇生し来るが如く、
子の声を発するを聞けば、己も生れ出でたるが如し」
とあります。
子供の健康を一心に念ずる親の恩は、
ひと通りではないでしょう。
やがて元気な子供の顔を見れば、
それまでの一切の苦しみを忘れて、
家族全員、「よかった」と歓声をあげます。
10か月間、身重の体をひきずり、
出産の激しい痛みに耐えてきた苦労も、
子供の泣き声を聞くと、すべて忘れ、
こんな幸せなことはないと喜んでくださるのが母親です。
また、
女性が体験する出産の痛みは、
男性では耐えられずに死んでしまうほど痛いものだと言われます。
しかし、しばらくすると、
母親はその痛みを忘れてしまうそうです。
いつまでもその痛みを覚えていると、
その恐怖でまた子供を産もうという気持ちにはならないからです。
出産なんて二度とするかと思っていた人でさえ、
また子供が欲しいなと思うそうです。
新しい命をこの世に生まれさせるという
大変な使命を果たす母親に備わった本能なのでしょう。